結党宣言

 

 

 しょぼい政党は、令和元年12月3日、新時代の言論空間における成熟した議論の実現と知性の復権、およびそれを通じた民主主義国家日本の生存および発展を目的として結成された。

 

 社会はいまや深刻な知的無秩序状態に陥っている。

 知識人階級による言論空間の独占は、インターネットの普及によって終焉を迎えた。世界へ向けた意思表示の機会が万民に与えられ、社会的身分にかかわらず、自由かつ無差別的また即時的に、万民が各々の言論を流通せしめ、また互いの言論にふれ、評価し合うことが可能な場が顕現した。

 だがしかし、言論の場が極限まで拡大し、万民が自由に、かつ即座にあらゆることを評価評論し得るようになった結果、あらゆる人間の不完全性が徹底的に暴かれ、その権威は傷付けられている。さらに炎は燃えさかり、飛び火した別の民が火に包まれ、消し炭になるまで焼き尽くされるのだ。万民が万民と対峙し、闘争しては灰になってゆく、荒廃した言論社会がいままさに我らをとりまく環境である。

 

 言論は、液状化している。言論や、言論にも満たない感情の端切れを、誰もが深く考えることなく自由に発信できる時代においては、社会はおのずと単純化し、アウトプットは脊髄反射的になってゆく。

 少数の先鋭的な人間が、問題を単純化し、単純化された言葉で感情を煽り、単純化された結論を突きつける。その状況で多数の人間が取り得る行動は、その結論を漠然と受容するかしないのか、のみである。なぜなら、高度で複雑な知性や、熟成された言論を踏まえた判断の必要性は事前に排除されており、多数の人間にはただ首を縦横どちらに振るのかしか求められていないからだ。
 

 

 人々が極度に単純化された二つの選択肢のどちらかを選ばねばならず、敵と味方に大きく分けられた結果、画一的な憎悪に基づく共同体が形成される。愚直な盲信に基づく共同体が形成される。

 

 社会はいま、多様な、無数の、脊髄反射的共同体で埋め尽くされている。自らを統治できない共同体が、無自覚に他者や自分自身へ感情の刃を振り回し、そのことに麻痺したまま存在し続けることによって、ひいては社会全体が知性を失い、衰退へと向かっていく。
 

 

 その先にあるのは、歴史に鑑みればおそらく、何も考えずとも自分たちを導いてくれる独裁主義への渇望である。ただ身を委ねていれば、今は少なくとも心地よく居させてくれる「絶対的に正しい人物」は古今東西つねに存在したが、その先に本当は何が待ち受けているのかを彼らが教えてくれたことは一度もない。
 

 

 我らしょぼい政党は、問題を単純化しない。徹底して、熟考する。議論する。そして可能なことから行動に移し、速やかに実現する。知性を尊び、言論を尊び、伝統や経験を尊び、平和と日々の生活を尊ぶ。赤子や高齢者、弱者や少数者、すべての国民が幸福に生存していくための知恵を、技術を、この国と世界のあり方を、知性と言論というもっとも民主主義的な手段によって確立する。

 

 たとえ現在の我らが、未だ地味でしょぼくとも。